プロフィール

三徳の二代目

Author:三徳の二代目
出身 : 広島県東広島市
年齢 : 34才(寅年生まれ)
家族 : 妻と息子の3人家族
趣味 : 貧乏海外旅行。
    バックパッカーで
    世界一周を2回達成!

東京と海外(フィジー)で働いた後、
4年前、12年ぶりに広島へ帰郷。
只今、家業を継ぐ為、修行中。

 日本で唯一の“○○”をもつ、
 広島・こだわりの墓石専門店
 『 石の三徳 』をよろしく!!

 三徳のホームページにも
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DATE: CATEGORY:僕のこと
本日、2月7日はわたくし、

三徳の二代目の誕生日です。

とうとう34才になってしまいました!


これからますます頑張っていかないといけませんね。

みなさん、応援よろしくお願いします!!


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じゃあの。


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DATE: CATEGORY:僕のこと
「ええぇー!!」


ブラウン管に映し出された映像に、

みんな驚いた。


「どうなってんだ!!」


ヘリコプターからの生中継は、

神戸の中心街、三宮上空だった。


その映像はまさに地獄絵図。

ビルが倒壊し、あの“高速道路”が崩壊している。

古い町並みからは、あちこちで煙が上がっている。


今となってはうそみたいな、

まるで映画のワンシーンのような現実が

確かにそこにはあった。



朝、あの車で聞いたラジオでは、

けが人数十人、死者数人言っていた。

それが、このテレビのニュースでは、

死者数百人になっていた。



僕たちは、てっきり自分たちがいるところが

一番被災していると思っていた。

が、実際は違った。


「活断層」という今まで聞いたことのないものが、

淡路沖から神戸中心街を横切っており、

震源地より近いここ明石よりも、

とてつもない揺れが来たというのだ。


「中心地に比べたら、俺らの状況なんて・・・。」


さっきまでのちょっとしたうかれ気分は

一気に冷めた。



それからみな、テレビに釘付けになった。

ニュースで伝えられる死者と行方不明者の数が

どんどんどんどん増えていく。


カタカナで表記され、

テレビ画面に延々とスクロールされていく。


友達に無事を確認したくて電話を掛けても、

いっさい繋がらない。何度かけなおしても、

ずぅーっと「プー・プー・プー」と、

むなしい通話中の音が繰り返されるのみ。



さっき、母親に聞いてみたら5日くらい

僕に電話をしても繋がらなかったという。

親戚に「探しに行けぇや」と何度も言われたらしい。

あの地震直後になんとなく掛けた電話1本は、

僕の家族を本当に安心させたようだ。



あの青い画面にカタカナの名前が延々と

スクロールされ、それを無機質な声で

アナウンサーが淡々と読み上げる。


ピッと画面を変えると、

いつものようにバライティ番組が流れ、

笑い声が溢れている。


その間逆の世界が、なんとも気持ち悪く、

少なくとも被災者のひとりとしては、

ゆるしがたいものがあった。




あんな思いは、

もう二度としたくない。




じゃあの。



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DATE: CATEGORY:僕のこと
今まで見たことない灯りひとつない

うっすらとした闇の中にある街と不気味な静寂・・・。


僕が住んでいた寮は、

神戸市と明石市のちょうど堺くらいにあり、

眼下には高速道路や街を見渡せるような場所だった。



外に出ても、高速道路を見渡しても、

いつもはひっきりなしに行き来している車が、

一台も走っていない。


街は見渡す限り、灯りひとつついていない。



「こんなのはじめてやな。」



みんなで、お互いの無事を確認しあいながら、

これからどうしようか話をしていた。


話をしているうちに、夜がなんとなく明け始める。


「どれくらいの地震だったんだろう?」


それを知りたくてもずぅーっと停電でテレビも見れず、

部屋にも戻るのも怖いので、寒くて友達の車の中へ入る。


「そうや!車のラジオがある!」


いつもは何気なく聞いていたラジオも、

こういう状況では情報を得る唯一の手段だった。

 

ラジオ「・・・今日午前5時46分頃、淡路島沖を
 震源として、M7.3の地震が発生しました。
 地震による揺れは、阪神間及び淡路島の一部に
 おいて震度7の揺れを観測したほか・・・」



「し、震度7ぁ!


ラジオを聞いて一同愕然とした。

震度7なんて・・・聞いたことない。



(僕らの寮は、神戸と言ってもほとんど明石市に位置する。
 その明石と淡路島をつなげた全長3,911mで、
 世界最長の吊り橋で有名な明石海峡大橋が有名)



ということで、ラジオを聞いてみんなこう思った。



 「ここは淡路沖に近いから、俺たちのところが

 一番ひどい(被害にあった)ところだったんだ。」



それから、みんなで街を歩いて見て周った。

何件か古い空き家が潰れていたり、

コンビニがガラスが割れて店内もぐちゃぐちゃに

なっていたり、ひどいことが起きたな、

と、惨状を見てあらためて感じていた。

(それでも、火事が起きたり、
 だれかが生き埋めになっているとか、
 そこまで酷い状況ではなかった。)



寮に戻って、みんなで瓦礫の片づけをしていた。

8時前くらいだったか、以外にも早く停電が復旧した。


みんなであわてて部屋に戻った。


この地震が一体どんなニュースになっているか、

みんな知りたかった。



ブチンッとテレビのスイッチを入れる。

ブラウン管のごついガラスの画面が

グレーからカラーにかわり、そこに写しだされた

ヘリコプターから中継されている映像を見て、

みんなまたまた愕然とした。


「ええぇー!!!」




<つづく>


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タグ : 阪神大震災 体験談

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DATE: CATEGORY:僕のこと
「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・」


ようやく揺れがおさまった。



※あとから聞いた話ですが、揺れは大体30秒くらいで、
 揺れのフリ幅は20〜30cmくらいあったそうです。




「た、助かった・・・」

コタツの暗闇の中でつぶやく。



おそるおそる頭のほうの布団をはぐってみる。



「ん!?



出、出れない!


コタツ布団の上に何かがかぶさっていて、

外に出ることができないのだ。


足もとの方はどうだろう?

なにもないようだ。


コタツの中でくるっと周って、

今度は急いで外に出た。



「余震が来る。」

その不安が頭の中によぎったからだ。


コタツの外に出てみると、

頭のほうに圧し掛かっていたのは冷蔵庫だった。

その右側には電子レンジが口を開いて

ひっくり返っている。



もし、あの時コタツに引っ込まなかったら・・・。

そう思ったらゾッとした。


その寒気といっしょに「みんなは無事か?」

そう思い立ち、部屋を出ようと周りを見渡してみる。



明け方でまだ辺りは暗い。

真っ暗ではなく、薄暗かった。



よく目を凝らして周りを見渡してみると、

なんと!部屋の土壁が崩れ落ち、

隣の部屋とつながっているではないか!



「みんな無事か〜!!」




「お〜。どうなっとんや〜!」

「生きとるか〜!」

「生きとるで〜!」



みんなの声が聞こえる。

二階の部屋は4部屋あり、そのすべての部屋が

角から角まで壁が崩れてつながっていた。



僕の部屋からは、外側の壁にも

いろんな隙間ができていて、

明け方の景色がとぎれとぎれに見えていた。



「余震が来るかも知れんから、みんな外にでよう。」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この時は、まさか、阪神淡路地区の広い範囲で

こんな大地震が起こったなんて思っていません。

僕らの住んでいるあたりだけ被災したと思っていた。


これは、親が心配するだろうから電話をしておこう。

そう思い、外に出る前に広島の実家に電話した。


 僕「もしもし、今、こっちでかなりの地震が
   起きたんじゃけど、大丈夫だから。そっちは揺れた?」

 母「そうなん。こっちはぜんぜんよ。わかったから、うん。切」
   
   母は寝ぼけていて、こっちの様子なんか分かるはず
   がなく、平然と聞き流して電話を切ってしまった。


  ※この電話を最後に、それ以降、電話がぜんぜん
   繋がらなくなり、3日くらいどこにも連絡できなかった。
   もちろん携帯なんかもっていない時代。

  後に、この一本の電話を掛けたことで、
  どれだけ安心したか、と両親にとても感謝された。
 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


みんなで外に出た。


辺りは、薄暗く、無論停電状態。

車も走ってないし、電球の灯りひとつない。

不気味なほどの暗闇と静寂は、

僕らの不安を煽り立てた。





<つづく>


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タグ : 阪神淡路大震災 体験談

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DATE: CATEGORY:僕のこと
「頼む!もってくれ!松本寮!!」

一体、どれくらい揺れ続けていたのだろうか。


「ゴゴゴゴゴゴ!!!」

・・・まだ揺れている。


「ゴゴゴゴ!!!」

・・・まだ揺れている。



その間、松本寮が悲鳴をあげていた。

コタツの中にもぐりこんでいる僕のすぐ耳元で、

いろんな方向から、物が壊れていく嫌な音が聞こえる。


「バギッ!ミシミシッ!!ガシャンッ!!!」



もうダメかも・・・。

真っ暗闇の中で、自分の感情が、驚愕から恐怖へ、

そして、あきらめの境地へ変わっていくのが分かった。






・・・あの時に体感した“揺れ”は、

13年経った今でも、はっきりと脳裏に焼きついている。


まるで僕の頭の中に、

その場面のDVDが埋め込まれているかのようだ。



何度も思い出しても、

リモコンのスイッチを入れたかのように、

映像だけでなく“五感”も再生できる。



僕は、物忘れがはげしいほうだが、

この体験だけは忘れようと思っても、

忘れることができないだろう。





<つづく>


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